京都府立植物園と、そのオリジナルのポストカード
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子どもの頃、フランスの作家サン・デグジョペリの「星の王子様」を読みました。
その中の有名な一節に「本当に大切なものは目に見えないんだよ。心の目で見なくちゃ。」というものがあります。
子どもながら、わたしにはこの一節がなぜかものすごく大切なことを言っているように感じられ、半ば無意識ながら、それ以来ずっと「心の目で見るってどういうことなんだろう?」と自分に問い続けてきた気がします。
大人になり、いい年齢になり、わたしは見た目や肩書で「きっとこういう人だろう」と判断されることが多くあります。とりわけ男の人からその傾向が強く、要するに、いまだに飾り物のように、遊び相手の女性として見られることがあります。
そのたびにひどく傷つき、悔しく思ってきました。
成長する過程で、もう完全にわが身を守れるようになりましたし、そのつど毅然として抗議する強さも身に付けてきたつもりです。ただ、それでもやっぱり同じようなことがあるたびに「あぁ、またか...」とヘトヘトに消耗します。
そして、消耗するたびに、悔しさの反動からか、ぜったいにもっと「目に見える」部分を磨いて、それこそ女っぷり全開で、むしろお色気ムンムンでありたいと意地を張り、その代わりにわたしは人を(とりわけ男の人を)ぜったいに肩書きでは見ないし、職業とか、収入とか、乗っている車とか、そういう目に見えるものではなく「心の目で見るんだ」ってことを、全力で、プライドをかけてやってきました。
実際のわたしは、ワインだってスーパーの1本650円で十分ですし、夏のバッグは10年くらい前に3000~4000円で買ったものをいまだに得意気に愛用していますし、洋服も最近はもっぱら古着で満足してますし、むしろ掘り出し物をお宝発見感覚でお得に買えるほうが嬉しいですし...。
そういうつつましやかなスタイルに喜びを感じて日々生活しているのです。ケチか? と聞かれると、それも違う気がしますが。
そういうギャップ? わたしのギャップ...? 自分では(あたり前すぎて)意識したことがなかったのですが。
そうか...、わたしはもうちょっと自分のそういうわかりにくい(目に見えにくい)ところをもっとちゃんと表現したほうがいいのでしょうかしらね。ほんとに、自分ではあたり前すぎて、気にも留めていなかったのですが。