(C)Fujico Hashimoto
グラフィックステーション
東京でも雨がよく降ります。
さわやかさがほしい! ということで、レモンのカードを選びました。
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先日、年下の女性から、「どんな30代を過ごしましたか?」と質問を受けました。
わたしの30代は、ほぼ仕事一色でした。
33歳で結婚していた人と別れることになり、埼玉県内の実家に戻ってきたとき、夫もいない、子どももいない、当然、彼もいない。勤めている会社もない、資格もない、お金もない。文字通りの「ないないづくし」でした。
仕事について言うと、もともとライター志望でしたが、結婚時には福岡県内で自営業の夫の手伝いをしていましたから、自分のやりたかったライター仕事は月にほんの数万円程度しかできていませんでした。
幸い家族が健在なので、実家にいさせてもらうことはできましたが、そのときのわたしは、とにかく心が枯渇していました。そして、一つでいい。たった一つでいいから、「わたしにはこれがある」そう言えるものがほしい。そう強く強く思っていました。
だから、がむしゃらに仕事をがんばりました。
少し前に、ライターとして中小企業経営者の仕事に込める思いを聞いて文章にまとめる小冊子製作の仕事に出会っていたので、ひたすらその仕事に没頭しました。
「なぜその会社を立ち上げたのか」」?」「仕事を通して、強く印象に残っている出来事は?」「商品・サービスを通して、お客様にどんな価値をご提供したいとお考えか...?」それらの質問に対する答えを文章にして冊子にまとめ、その会社のお客様や社員さんに読んでもらい、会社のファンをつくっていく...。そういう仕事です。
とてもやりがいがあり、刺激的な毎日を過ごしていました。
まだ若かったから、休まなくても平気でした。たぶん3年間くらいずっと、365日のうち360日は仕事していました。
そのおかげでたくさんの会社からご依頼をいただけました。製作にとりかかるまで数か月待ち。「気持ちを伝える文章を書く」ことに没頭できて、実績をつくれて、著書も出せて、充実していました。
でも、ものすごーく、偏っていました。
「ワーク・ライフ・バランス」なんて言葉が当時あったとしたら、鼻で笑っちゃう...。そんな小生意気な、闘争心の強い、未熟な30代でした。
最近よく当時のことを思い出します。お世話になった人たち。住んでいたマンション。乗っていた車。友だち。傷つけてしまった大切な人...。
来年、わたしは50歳になります。
40代でもがいた分、50代は、あの頃ぶつかっていた壁を軽々と乗り越えていく、そういう生き方がしたいです。
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NOTEとブログの使い分けがよくわからず...。とりあえず、だましだまし、はじめてみます。
なんか、引っ掛けみたいでごめんなさい。続けられますように。