手紙空間の最近のブログ記事
降り続いた大雨の後、近所を散歩していると、真っ黒い大きな蝶がひらひらと舞っていました。雨上がりに山から下りてきたのでしょうか。珍しいので写真を撮ろうと思い、ワンコが早く帰りたがる中、しばらく目で追いかけていました。時間にして5分くらいでしょうか。離れてしまったと思ったらまた戻ってきたり、ずいぶん長いこと近くを舞ってくれました。
蝶は縁起がいいですね。
>卵から幼虫になり、さなぎを経て、
>美しい羽をもつ成虫に成長することから、
>蝶は「不老不死」の象徴とされています。
>海外、とりわけキリスト教圏では
>蝶は「復活」のシンボル。
>チャンスや喜びの前触れとも言われます。
発行しているメルマガで上のテキストを書いたばかりだったこともあり、「まぁ、ラッキーだわ♪ ふふふ」と嬉しくなりました。しかも、真っ黒な蝶ですから、なんだかわかりませんが、パワーが強そうです・笑
早く外で飲めるようになればいいなあー。
軽率な行動は慎みながらも、健全な自分を保てるよう、ありとあらゆる工夫をしていかなければ...。
今日はポストカードではありません。
朝一番、8時半の開門時間に合わせて銀閣寺に行ってきました。
掃かれたばかりです。少し遠慮がちに歩きました。
朝早くにもかかわらず、庭師が何人も働いていました。この暑さですから、大変な仕事だと思いますが、庭づくりは究極のクリエイティブ。歩きながら「いいなー、来世でもし男に生まれ変わったら、財を成して晩年に庭づくりしたいなー」と思いました。@女に生まれ変わったら、オペラ歌手です。
細長い棒を持って歩く庭師がいました。何をするのか見ていたら、あちこちの蜘蛛の巣を取って歩いていました。「蜘蛛の巣が多いですね」と話しかけたら、「虫が多いから、この時期は一番多いですよ。3時間もすると、すぐにできますよ」と。蜘蛛も張りきり甲斐があるというもので...。
緑のグラデーションに圧倒されます。
セミもけたたましく鳴いていました。
月を見るためだけに作られた向月台。
銀沙灘(ぎんしゃだん)は月の光を反射させるために作られたもの。
売店に同じ構図のポストカードがあったので、1枚買いました。
若い頃に買った写真集「京都月光浴」(石川賢治)。満月の光だけで撮影された写真集です。
この本の中に、「月待山の頂上部から満月が上がってくると、池で魚が跳ね、静寂の中、水音が計算したように反響し、白鷺が舞い降りてきました。」という一文があります。
この世のものとは思えません...。
中学生の頃、歴史の授業で、「室町幕府8代将軍・足利義政は、政治能力が欠けていたために応仁の乱を引き起こし、その責任から逃れるように東山に居を移し、銀閣寺を建て隠居した。いわば、政治そっちのけで文化に帰依した残念な人」という学び方をした気がします。
いろいろな角度からの見方があるのだと思いますが、いずれにせよ本人はさぞ苦しんだことでしょう。その苦しみが深かったからこそ、究極の美を追い求め、それが、後世の日本が誇る世界文化遺産を生み出したのだと...。
干菓子にある家紋は、天皇家と足利家。
天皇家と足利将軍家が同居・共存している様は、解決不能な問題を抱えながら、お互いの忠誠心が厚いようにも見えます。
とても複雑ですけれど、そんなこと一切考えず、いただきました。
門前の漬物屋さんのおじさんが、開店準備しながら「ひゃー、暑い。しっかり暑い」と言っていました。「しっかり暑い」というのは京都弁でしょうか...??
自宅から銀閣寺まで徒歩10分なのです。
散歩して、ひと休みして、10時には戻ってこられる幸せ。
PAPER MESSSAGE
テッポウユリとソリダスター
PAPER MESSAGE
グロリオサとグルースター
いずれも高知県がテーマの花柄のようです
・ウィリアム・モリスみたい
・ところどこにいる鳥さんに目が留まる
・こういうテキスタイル風(?)のカードもおもしろいですね。ポストカード以外の用途もありそうです
・インテリアが好きな人に送りたい
・ナチュラル志向の女性に似合う
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週末、自転車を借りて、吉祥寺に行きました。
久しぶりの街歩き。けっこう人出がありました。マスク姿でソーシャル・ディスタンスを心がけながらではありますが、おしゃれな紙雑貨店を覗き、商店街をひやかし、おいしいパンを買い、日常に戻った感のある週末でした。
PAPER MESSSAGEさん
許可をいただいて、写真を撮りました
こんにちは、いかがお過ごしですか。
これは何でしょう?
ハンカチの木。先日うっかり反対方面の電車に乗ってしまい、一駅分歩いて戻る途中で「代々木ビレッジ」という珍しい植物がいっぱいの素敵な空間にたどり着きました。
ハンカチの花、満開! 思いがけず、ラッキーでした♪
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散歩には最高の季節です。
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日本橋郵便局の入り口にある郵便発祥の地の記念像。明治の頃、日本の郵便制度は東京/日本橋からはじまりました。
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先日、ある企業の方々と「手書きの力」についてディスカッションしていた際に、「手書きの手紙はいずれ捨てなければならないけれど、デジタルなら永遠に保管できる」という話になりました。
たしかにそうですね。わたしも数年おきに届いた手紙を大量に処分しており、そのたびに胸が痛むのを感じます。
ただ、あらためて考えてみると、胸が痛んだり、つらい気持ちになったりするのは悪いことでしょうか?
いいえ。それら感情の動きがあるのは、わたしはむしろ素晴らしいことだと思います。
捨てるときに、あらためて相手を思い出したり、過去をなつかしんだり、交わした会話の内容を思い浮かべて切なくなったり感謝したり...。それこそ、ありとあらゆる感情が湧いて出ます。
デジタルなら捨てずに済むという考え方は、便利で手軽である反面、実は、捨てないがゆえに思い出すことも少なく、ある意味、人間本来の感情の動きのようなものを封じているとも言えるのではないでしょうか。
人と同じように物にも命があるとしたら、捨てることにも意味があって、捨てることとしっかり向き合うことで今をより大切に生きていける......とはまさにコンマリさんが言っていることですが、わたしも同じように思いました。
ディスカッションのときにはただなんとなく違和感を覚えただけで、何も言えなかったのですが。しばらく時間が経ってから「そうか、わたしはこういうことを考えていたんだ」と気付くことって多いですね。