こんにちは、いかがお過ごしですか。
わたしは幼少の頃からずっと、自分の気持ちを声に出して発することができませんでした。
友だち同士の他愛のない会話なら困ることはないのです。ただ、大切な人や大勢を前にすると、言いたいことがあっても、いざそれを声に出そうとすると体がぎゅっと委縮し、ぶるぶる震えて声にならないようなことが多々ありました。
遺伝的な影響もあったのだと思います。
父方の祖父には吃音があり、それにより祖父は戦時中、壮絶な体験をしてきました。
父はほんの1年ほど前まで、まったくといっていいほどその話をしたがりませんでした。それにより、父も深く傷ついていたからです。
わたしはただ悶々と「伝えられないもどかしさ」を抱えて生きてきました。
けれど、そのおかげで、幼少のころからずっと、無意識ながらも「書いて伝える」ことに夢中になれました。
気持ちを書くとき、わたしは自由で、幸せでした。
不思議なもので、好きなもの・信じるものについて語るときには、人前に出てもさほど苦を感じず、それどころか「あれも話したい!」「これも話したい!」「ねぇ、聞いて聞いて!!」と次々に言葉が出てきました。
けれど、手紙以外の部分においては、不自由なままでした。
大切な人を不用意に傷つけ、幾たびもの失恋に深く傷つき、「なぜなんだろう?」「なぜわたしはこうなのだろう?」と悩み、苦しみました。
数年前から専門家のところに通い、脳を鍛えるトレーニングを積んできました。
その過程で沢山のことに気づき、気づくことでまた傷つきながらも、少しずつ成長してきました。
そして、今年の元旦、初めて「あぁ、これでわたしは解放された。これでもうだれに対しても言いたいことが言える。ちゃんと声に出して伝えられる」、そう実感できた瞬間がありました。
それは、わたしが一番苦手な相手である父に対して、わたしの心の一番奥深くにある大切な気持ちを、感情的にならずに淡々と、声に出して伝えられた瞬間でした。
わたしは幼少の頃から、父に褒められたことがありません。
父もまた自らの父との間に心理的外傷を抱えて生きてきたため、父にとって「祖父の血を強く引いている」と感じられるわたしは、姉兄とは異なり、少し扱いずらい存在だったのだと思います。
わたしは父にこう伝えました。
「お父さん、お願いがあるの。わたしのことを愛している、和子のことを誇りに思う。そう言ってほしい」
そのとき父は、その願いに応えてくれようとしませんでした。父には父の事情があり、応えたくても応えられなかったのだと思います。
わたしは「やっと言えた、やっと伝えられた」という達成感を味わうと同時に、身が縮むようなやるせなさを覚えました。
そして、この週末、もう一度、勇気を出して父に会いに行きました。父は初めてこう言ってくれました。
「愛しているよ。和子のことが大好きだよ」。
ついに、たしかに、そう言ってくれました。ならば、もう大丈夫。次に会うときには、きっともっとお互いが歩み寄れるでしょう。
わたしはこれで本当にラクになりました。
今までずっと抱えてきた「声に出して伝えられないもどかしさ」を手放せたとともに、ずっと愛してほしかった最愛の人から、一番聞きたかったその言葉を引き出すことができたのです。
いずれ父も、ずっとラクになるでしょう。
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コロナウィルスの影響で、世の中が停滞していくようです。
平常心を保てるよう、こんなときこそ身近な人と愛を確認しあえたらいいですね。
関係が近いからこそ「言わなくてもわかるだろう」と伝えるタイミングを逃してしまうこともあるものですが、溢れんばかりの情報のシャワーを浴びている今、心の中で思っているだけでは伝わらないことも多くなりました。
声に出して言うことはむずかしくとも、書くことでなら、意外とスムーズに伝えられるものです。
まして、それが手書きなら、言葉の力が何倍にも強まります。
日頃の何気ない感謝を思うままに綴るもよし、熟考した上で特別な一通をしたためるもよし。
ありがとう。
まずはそのひと言から、すべてが動き出すと感じます。